風に吹かれて (2019年9月号:日韓問題、教育勅語、終戦の日など)

常念山脈は初秋の様相で、稲の穂も重そうに垂れています。安曇野・穂高は涼しくなって朝晩は20度を下回り、自宅の庭も、ホトトギス、シュウメイギク、ムラサキシキブ、ナツメなどの秋の花・実に移ってきました。この秋は、柿も豊作のようです。というわけで、9月半ばには、拠点を東京に戻し、これからは、11月末の冬支度・店仕舞いまで、東京-穂高を往復の日々になります。
さて、話題には事欠かない夏でしたが、今回は、日韓問題、柳田國男と教育勅語、終戦の日、青森・キリスト祭などについて感じたことを記します。

 

● Don’t move the goals - 日韓問題 ①
最悪の状況にある日韓関係だが、日本は、国際社会に対し、あらゆる事実を洗いざらい、かつ、客観的姿勢で伝え、これを通じて、真・偽、正義・不正義を明らかにする時期に来たと考える。

韓国による「世界PR作戦」も恐れたり動揺したりすることはない。個人的な経験にはなるが、国際小麦協定(IWC)の会議での様子を紹介しておきたい。日本、米国、EU(当時はEC)が対立したとき、ECは、「国際会議や」や「国際交渉や」と称される手練れの外交官(ジャコ-、ピズ-チ)を送り込み、延々と演説をぶち、米国非難し、日本を挑発して、各国の支持を取り付ける作戦をとった。
ある種の詭弁でもある「弁論作戦」だったが、今回WTORCEPに派遣された韓国代表もその類いと推測している。オウム教団の「ああいえばジョウユー」のような連中で、議長から「関係ない垂れ流し発言」を制止されたといわれるが、国際会議では当然のことだし、また、それを、彼らは気にもしない。

韓国に対しては、最小限でも、国際約束(条約・協定)は遵守する、 関係のないところでの触れ回りはしないの2点をねばり強く求めていかなければならない。

 

● 二度と負けない - 日韓問題 ②
文在寅大統領は、8月2日発表の国民向け談話で、「二度と日本に負けない」と語った。はて、それでは、「一度目の負け」とは何時のことなのだろうか。

①モンゴル(元)の属国・手先となり日本を攻めて敗退の「元寇」(1274年・文永の役、1281年・弘安の役=2回の負け)、
②豊臣秀吉に攻め込まれて、最後は講和になる「朝鮮出兵」(1592年・文禄の役、1597年・慶長の役=引分け)か。
いずれにせよ、①、②での当事者は、元や明の支配下にあった「高麗」(南北統一朝鮮)である。この歴史を振り返ると、文大統領の語った「南北経済協力で平和経済が実現すれば(中略)一気に日本の優位に追いつくことができる」という含意=高麗朝鮮も妙に現実感を持つ。他方、国内には、『今回も負け戦さだ』と経済についてのdamage control(=言い訳)が出始めているともいわれる。

さて、朝鮮半島と日本の軍事、政治、経済、文化の関わりは古くから数多い。いくつか事例を挙げれば、①半島に高句麗、新羅、百済の3国が覇権を争っていたころ日本が百済を支援し唐・新羅の連合軍に敗れた「白村江の戦い」(663年・天智天皇)、②内戦に敗れた百済難民を引き受け定住させた埼玉・高麗郡の誕生、③半島海岸線の村や海を荒らし回わった「倭寇」(13~16世紀)(実態は、後期では大半が朝鮮民族同士での争い・略奪=偽装倭寇だったとの網野善彦の説)などである。ともかく、両国の歴史は古く、長く、複雑なのだから、より深く、より冷静に観察しなければならない。では、某大統領につぎの警句を贈ろう。

“勝つ勝つといって訴訟を起こし、負けては大変だといって金を取り、負けても自分のせいではないというのは悪徳弁護士の常とう手段である” (正木ひろし弁護士)

 

● 柳田國男と「教育勅語」
9月に内閣改造が行われそうだが、文科大臣が交替するようだと、記者会見で、一部マスメデイアから「教育勅語」に関する<ヒッカケ>質問が予想される。

これまでにも、「部分的にはいいところがある」などと中途半端な回答をして、墓穴を掘る歴史勉強不足の新大臣もいた。ここで、参考のため、農政の先達にして著名な民俗学者の「柳田國男」の指摘を紹介しておこう。彼は、「教育勅語」についてはっきり否定した。(臼井吉見「安曇野」第5部)

“ あんなものは、武士仲間ならともかく、一般庶民や農民には、もともと縁もゆかりもないもので、ああいうものを上から押しつけたことが、そもそも、まともな道義が育たなかった根本だ。わけても、村の衆の間に強く生きていた近隣同士の思いやり、これを伸ばして育てなかったのは、教育勅語の大きな罪だ ”

戦争のさなかにもかかわらず、こんなことを講演会で発言するものだから、憲兵に狙われるというとんだ目に逢うことになったと(臼井吉見は)いう。

 

● 終戦の日に - 若き自由主義者の三つの遺書
北安曇郡池田町の出身で松本中学から慶応大学へ、大戦末期に鹿児島の知覧から出撃、特攻死した「池田良司」の遺書が8月15日のテレビで放映された。
彼の遺書は、①型通りのものと②本音のもの、そして、③は、初恋の人への謎めいた本であった。第2の本音の遺書では、概要つぎのように述べている。
“権力主義、全体主義の国家は必ず敗れる。自由主義こそ合理的で、自由主義の国の勝利は明確だ。そして、いま、自由主義者が一人この世から消える”

彼に影響を与えたのはイタリアの哲学者「グロ-チェ」で、第3の遺書は、グロ-チェの著作の特定の文字を丸で囲って、続けて読めば初恋の人へ自らの意を伝える文章になっていたという。自由を育んだ安曇野らしい逸話である。

 

● 青森のキリスト祭ふたたび
平成28年の8月号で、日本三大奇祭の一つとして、戸来の「キリスト祭」(青森県新郷村戸来 = ヘライ ← ヘブライ)を紹介した。JR東日本の車内誌「トラン・ベ-ル」の8月号には、実際の画像が掲載されている。これを、一見すると、浴衣姿の女性たちが踊る「なかなか楽しそうな盆踊り風景」に思える。

ちなみに、繰返しにはなるが、祝詞には、「イエス・キリストは、シベリアに渡って八戸に上陸し ・・・(中略)・・・ 浄めたまえ」との意味が込められており、これらを織り込んだ「古い盆唄」(賛美歌ではない)を歌いながら村人は踊るのだという。
(注)「キリスト祭」は、毎年6月の第1日曜日に行われ、式はなぜか「神式」、「神をたたえる古代ヘブライ語の軍歌」ともいわれる詞章は、<ナニャドヤラ ナニャドナサレノ ナヤドヤラ>と聞こえるそうだ。(8月7日付け読売新聞から)

 

● 古本の供給者は60代、70代?
古本市といえば「神保町」だが、かつて入手しにくかった希少、貴重な本が、最近は、かなり楽に買えると聞いた。①デジタル化の影響、②親子関係で子や孫たちは書籍に相続価値を認めない、③終活が盛んになり、前提として「断捨離」 も流行っているなどが原因として考えられるが、確信はない。

実際にも、知人が所有する「大事な書籍」を出身母校に寄付したいと、申し出たところ、「スペ-スがありませんので」と丁重に断られてしまった。とくに、60、70歳代からの古本供給が増加しているそうで、ちょっと残念な気持ちだ。

 

(2019.8.27記)

 

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